2012年5月31日木曜日
*〜<<知覚の扉>>〜*Vippasana meditation centre Vol.2
東京の時間は進み、当然並行してブルーマウンテンズの瞑想センターの時間もまた同じ早さで進んで行く。 しかしそこには大きな違いがある。 一秒を一秒と捉えられること。
詳しい瞑想法に関しては沢山のページがあるからそっちを見てちょ**
http://www.geocities.co.jp/bodaijubunko/h/sayalay.nivarana.htm
意識を瞑想だけに集中させる教えに背き、僕の暴れん坊の意識は過去・現在・未来>>自分が出会ってきた人達>>もぉ考えれることはないってほどにぐんぐんと波乗りをし続けた。
もちろん教えられている瞑想法を繰り返すが、一時はあまりの阿修羅の如く暴れ回るピッキングぶりに、「やはり自分は軽度のADHAではないかと」またもや仏陀の教えから遠のくばかりだった。
一日中瞑想にふけり、寝ているのか起きているのか境目のない状態で、太陽は頭上を横切っては月が登る毎日。
そんなある日、休憩時間も一人瞑想ホールで意識集中をし、ホール玄関前にある芝生エリアにて、太陽の光を浴びながら瞑想をしていると、ある事に気が付いた。
その芝生全体を見た時に所々 いや ある規則性をもってそこに在る草花がゆらゆらと揺れていた。
風
風が優しく彼らを揺らしている。
するとさっきまで感じていた自分の呼吸の音はしなくなり、自分の意識が半径20m内で起きているあらゆる出来事を同時に感じることができた。
陽の光を浴びた草花達に僕の意識はシンクロし、ありありと光の喜びに反応する感覚。
周囲を囲む木々も同時に、意識の共有と言うべき味わった事ない感覚が五感以外で感じられるのだ。 昆虫や爬虫類いや、僕は空気や光のような物体のないエネルギー体に変わり、暖かみのある綿毛のような肌触りのある幸福感が、僕の意識を包み込んだ。
毎晩夜にこのヴィッパッサナー創設者のゴエンカ氏の話を聴く。
その中で講習中に僕が感じたような感覚になることを話していた。
そしてその話の通り、次にはもっと凝固した意識の塊に出会い、以前よりの瞑想ができなくなっていた。
僕はこの10日間で、情報の整理を済ませ、また瞑想の仕方や世界を少しだけ感じ得ることができた。
仏陀が広めたこのヴィッパサナー瞑想の方向性は、僕が求めていた方向性と一致した。
もっと瞑想を追求すると僕はどこまで変化できるのだろう
人は生活の中でどうしても汚れていくものだ。
しかし、日々蓄積されていく汚れは、毎日の瞑想でクリーンにできる。
清潔な意識には純度の高いシンクロや感覚が発生する。
僕の汚れにまみれた意識は どこまで変化していけるだろうか。
涅槃に達する感覚とはどんなものなのだろうか。そしてその眼から見える世界はどんな世界なのか。
僕は知りたい。 知らないから 知りたいんだ。
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